『空に浮かんだ小さなケーキ』
4時。 俺はいつもより遅れて図書館にやってきた。 「遅いわバカー!」 図書室のドアを開けて中に一歩入った途端、罵声を浴びせられた。 一瞬、ひるんでしまったが、気を取り直して室内に入ると、 カウンターからこちらを睨み付ける鈴原の姿があった。 やっぱり無断で遅れたのがまずかったようだ。 とりあえず俺もカウンターに入ると、鈴原がずいと身を近づけ、不服そうな顔で俺の顔を覗き込んできた。 「あんた30分もこんなか弱くて可愛い女の子を一人にして!もしなんかあったらどうするんよ!」 「なんかって何?」 俺が速攻で問い返すと、鈴原は「う〜ん」と唸りながら悩みだした。いや、別に無理して考えなくても。 「せやなぁ…クマが現れてうちを食べてまうとか?」 「いやぁ…出ないと思うぞ、クマは」 確かに近くに小さな山はあるが、クマは住んでないハズだ。 ノラネコが迷い込んだことは何回かあるが、いくらなんでもクマは出ないだろ。クマは。 「ほんならここ海近いし…クジラが出てきて、うちがピノキオみたいに飲み込まれてまうとか?」 「いや、クジラは陸に上がれないから」 すごい勢いで妄想が現実離れしていってないか、お前。 「えぇい、なんでもかんでも『無理』とか『ありえへん』とか、 あんたには『もしものことが』って危機感はないんか!?」 「ない。ついでに『無理』とも『ありえない』とも言ってないぞ」 そんな危機感持ってるヤツってけっこうヤバいと思うぞ、俺に言わせれば。 そうこう言ううちに、ついにキレたのか鈴原がなんか両手をわなわなさせながら意味不明なことをわめき出した。 「あぁ、うちはこんな危機感のかけらもないヘタレな男のせいで、 誰もいない図書室で悪い男子達にあられもない姿を晒され、 果ては汚され、あーんな写真を撮られ、こーんなビデオを…!!」 バシィッ!!俺は自前のハリセンで鈴原の頭をおもいきりはたいて黙らせた。 「うるさい!こっぱずかしいこと大声で叫ぶな!外に聞こえるだろ!!」 しかも図書室中の窓が全開だし。 「わけのわからないことをわめいてる暇があるなら、仕事しろ。仕事」 俺は隅の机の上に置かれた画用紙とハサミとマジックを指さした。 仕事ってのはやっぱり本の貸し出しではなく、宣伝週間用に使う本のポップを作ることだ。 ちなみに宣伝週間っていうのは1学期の最初に、 生徒達に図書館の存在をアピールし、皆に図書館の利用を促そうっていう企画で、 ポップっていうのは本の宣伝文句なんかを書いて本の付近を飾り付けする小道具。 ほら、本屋のマンガコーナーとかで、「店長のオススメ!」とか、「アニメ化!」とかって書いてあって、 イラストとかも入っててけっこうシャレてる手作りの飾り見たことないか?アレがポップ。 俺と鈴原は椅子に座り、とりあえずポップを作る作業を始めた。 鈴原はなんとか大人しくなったが、まだ怒ってるみたいだ。空気が重い…。 「なんでこんな遅なったんよ」 鈴原が手元を見たまま口を開いた。こっちを見ないってのは怒ってる証拠なんだろうな。 「美術の課題、授業中に終わらなくて、居残ってやってた」 俺も手元を見ながら、鈴原の顔を見ずに言った。 顔を見たら、なんていうか…負ける気がしたからだ。 「うち、あんたがサボったんかと思って…もう来うへんのかと思って、めっちゃ腹立ってて…」 鈴原がそこで黙った。 続きを言うのを待ったけど、7秒ぐらい経っても黙ったままだったので、こっちから口を開いた。 「悪い。遅くなるって言えたら良かったんだけど、伝える暇なかったから」 そう言うと、鈴原は黙ったまま…手を止めた。 「ケータイ」 鈴原は、ぼそっと、聞き取りにくかったけど、確かにそう言った。 鈴原は顔を伏せたまま、スカートのポケットからケータイを取り出し、こっちに突き出した。 「ん。遅なる時、メールか電話で遅なる言うて」 俺は黙ってケータイを受け取り、俺のケータイを取り出してアドレス登録した。 「…ん」 ストラップのせいで俺のケータイより5倍ぐらい重いケータイを突き返すと、 鈴原は目を合わせないでケータイを受け取った。 と、ここで鈴原のケータイの着信音が、重い空気をかき乱すかのように鳴りまくった。 「うるさいな…」 俺がつぶやくと、鈴原は一瞬こっちを睨みつけてから、ケータイの着信画面を確認した。 「…あっ」 鈴原はいきなり俺の両肩をひっ捕まえて、目をそらそうとした俺に無理やり目を合わさせ、 にっこりと笑ってこう言った。 「うちはなぁ…モンブランが好きや!」 顔が近かったのもあってか、気恥ずかしかったので、 やっぱり俺は目をそらして、「わかった」とだけ返事をした。 「うちさぁ、前からちょっと疑問やってんけど」 「なんだよ」 俺たちはポップ作りを再開していた。 こういう細かい作業は集中力のいるもので、 俺たちは、もう気まずくはなくなっていたけど、 無意識に黙って作業していた…が、その沈黙を破ったのはやっぱり鈴原の方だった。 「これ、なんで『ポップ』て言うんやろな?」 「それはお前……英語でポップって言うんだよ、これを」 俺は自分が何か知っているような気がして勢いで答えようとしたが、 結局何も知らなくて、結果、勢いで適当なことを言ってしまった。 「ほんなら、日本語でなんて言うん?これ」 速攻で痛いところを突っ込まれた。 「いや…なんだっけ、忘れた」 我ながら無難な逃げ方だった。 「ほんなら辞書ひこか」 あっ…そうだった。 ここが図書館だってことを一瞬忘れていた…資料なら豊富にある。 「ほら」 俺は本棚から英和辞書を取って、鈴原に渡した。 俺は「ポップ←英語」説には我ながらけっこう自信があったので、 無理に調べるのを止めてまでごまかそうとは思わなかった。 「えっと…『ポップ』言うたら、『POP』やんな、やっぱ」 鈴原はP行でページを開き、O→Pと、順に照合して単語を引いた。 「えっと…『物がポンとなる。(はじける、破裂音)』」 「それは違うだろ」 「『ひょいと動く、ひょっこり』『気圧の変化で耳がきゅーんとなる』『ポンと音を出させる』『銃などを発砲する』 『炭酸水、サイダー』『質入』…うーん、どれも関係なさそうやで」 「貸してみろ」 俺は鈴原から辞書を取り上げて自分で調べた…意地だった。 さっきも言ったが、俺は「ポップ←英語」説には相当な自信がある。 載ってないハズがないじゃないか。 「…本当に無い。『ポップ』は英語じゃなかったのか」 なんか、俺はものすごくむなしい敗北感に襲われたが、 鈴原はそれをツッコもうともせずにまたぼやいた。 「結局、『ポップ』て、なんなんやろね?」 俺たちには最後まで、「ポップ」の意味が何なのか分からなかった。 閉館時間が来て、俺たちは閉館の準備を始めた。 俺が窓のブラインドを閉めていると、横で鈴原が目を輝かせながら俺の顔を覗き込んで行った。 「なぁなぁ、帰り、さっそくケーキ屋寄ってこうや。おごってくれるんやろ?」 鈴原はさっき俺が送ったメールの着信画面を自分のケータイに表示させ、俺の顔に押し付けた。 『ごめん。ところで、ケーキは何が好き?』 俺は顔面からケータイを引き剥がし、鈴原のキラキラ輝いた目を見て悪戯っぽく言ってやった。 「ああ、コレ?聞いただけ」 鈴原はおもいっきり俺の頭めがけてケータイを投げつけてきた。 結局、俺は帰りにケーキ屋でモンブランをおごらされ、頭のコブと同じくらい痛い出費を強いられた。 まあ、後から俺のケータイに送ってこられた 『ごちそうさま、美味しかったよ』 というメールのおつりに比べれば、たいした出費じゃなかったのかもしれない。 次の行にあった、『またおごれ』という記述さえなければ。 2004.8 執筆
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