『王様の勉強法』
今日から試験一週間前。
この時期は試験勉強に来る生徒達で、
図書室は普段と違ってけっこう賑わう。
が、皆勉強をしにきただけで本を読む余裕なんてとてもないので、
結局のところ俺たち当番にはいつもどおり仕事がない。
俺たちはいつもどおり午後三時半からこのカウンター内の椅子に座り、
いつもどおり無駄な時間を過ごしている。
「なんかお前、眠そうだな」
隣でうっつらうっつらと今にもぶっ倒れそうにしながら座っている鈴原に声をかけた。
なんていうか…ヤバ気なぐらい眠そうだ。
「うへ?…うー、んー、昨日、徹夜してん…うー、眠いー」
すでに言動がレッドゾーンだぞ、お前。
「徹夜って…勉強か?夜に勉強するのって、たいして効率良くないぞ」
鈴原はうなだれながら、「うー、うっさいなぁ」とうめき、
とうとうカウンターに突っ伏して顔だけこちらに向けた。
「そんなんうちかて知ってるわー、なんか最近、夜寝れんねやー」
そう言ってついに目を閉じ、「ぶぅ」と意味不明な鳴き声を吐いた。
「なんだ…悩み事でもあるのか?柄にもない」
「そんなんちゃうわ…こないだの土曜の晩にゲームやってて徹夜したら、
夜が明けてから朝寝してもーて…ほんで昼過ぎに目ぇ覚めてそのまま起きてたら、
また夜寝れんくなって…学校あるし朝寝は我慢して帰ってから夕寝したら、
…それからずっとこんな調子や…ちょうど今、うちの夕寝タイムやねん…」
鈴原は眼鏡を外し、おさげにした髪を肩の後ろにはねて、
本格的に寝に入ろうとした。
「おやふみ…あんた、うちの可愛い寝顔見れるなんて、ついてるでぇ…」
「こらっ」
俺は自前のハリセンで鈴原の頭をぶっ叩いて、文字通り鈴原を叩き起こした。
「パンッ!」とスゴい音がしたので勉強をしていた生徒達は一瞬、驚いてこっちを見たが、
すぐに勉強の方に戻っていった。
「いくらなんでも、ここで寝ちゃマズいだろ…夜になるまで起きて、夜になってから寝ろ。
そしたら睡眠のリズムが元に戻るハズだ」
鈴原は「何するんやー」とうめきながら、うつ伏せの状態から体を起こした。
口からよだれが出ている。嫁入り前の娘がみっともない。
「そんなん言うたかて、やることもなしにこんなとこおらされて…退屈で寝るなっちゅう方が無理な相談やないの」
「だったら勉強しろよ、勉強。どうせ夜寝るんだから今勉強しといた方が良いだろ」
「今、眠ぅて勉強できるような気分ちゃうもん…頼むし寝かして…」
今度は体を起こしたままうっつらうっつらと寝に入ろうとする。
だんだん腹が立ってきた俺は鈴原の頬をおもいきりつねって引っ張ってやった。
「いったー!…何すんのよあんた!人の頭ハリセンではたくわほっぺたつねるわ!セクハラで訴えるえ!」
「お前のいつもの発言の方がよっぽどセクハラだ!!」
俺たちが大声を出したせいで勉強をしていた生徒達は一瞬ぎょっとし、
俺たちを一斉に睨み付けた。
急に恥ずかしくなって、二人でしゅんと黙り込む。
図書室ではお静かに。
「うーん、わかれへん」
隣で勉強している鈴原が、急に頭を抱えて悩みだした。
俺は暇つぶしに読んでいた文庫本を一旦置き、
鈴原の解いていた数学の問題集を覗き込んだ。
「なんだ、数学苦手なのか…二次方程式の応用か。そんなに難しい範囲じゃないじゃないか」
俺がそう言うと、鈴原はケロッとした顔で言った。
「せやから、方程式って何?」
俺は思わず椅子からずり落ちた。そこまで根本的な問題だったのか。
「お前、よくうちの学校受かったな」
「うちらが受けた年はめちゃめちゃ倍率低かったからなー。まぁ、運も実力のうちて言うやんか」
全く自慢になってない。
ヤバいな…このままこいつを試験に挑ませたら、まず留年は免れないぞ。
「俺が勉強を教えてやる」
俺が鈴原の問題集を自分の方へ引っ張り寄せると、鈴原は反対側から問題集を掴み、引っ張り戻した。
「余計なことせんといてよ、うちがズルしてるみたいやないの」
「何がズルなんだよ、お前、このままだと赤点取っちまうぞ」
「だってあんたこの前のテスト、学年で上位やったやんか。
そんなヤツに勉強教えてもろて点数取ったかて、うちやなくてあんたの実力みたいで癪やし嫌やわ」
鈴原はますますムキになる。妙なとこだけ頑固だな、こいつは。
「じゃあ、お前は学校の勉強は誰に習って勉強してる?」
「それは…ガッコの先生に決まってるやん」
「それじゃあ、お前は独学で勉強してるわけじゃなく、学校の先生に教えてもらって勉強をしているわけだ。
じゃあ、テストで点数が取れたとしたら、それは学校の先生の実力か?」
鈴原は俺の問いに一瞬悩んだが、すぐに答えを見つけ出して答えた。
「いや、それはうちの実力やろ…」
「じゃあ、俺から勉強を習ってテストで点数を稼いでも、それはお前の実力だってわけだな」
俺が笑顔で念を押すと、鈴原は納得がいかなそうな顔をしつつ、渋々頷いた。
「ほら、どこがわからないのか言ってみろ」
俺はそれからしばらく、鈴原の数学の勉強を指導してやった。
これまで、人に物を教えるという行為がここまで楽しいこととは知らなかった。
俺はこいつのおかげで、今、何か大事なものを得たのかもしれない。
「それじゃ、俺が閉館の準備やっとくから、残りの部分、ちゃちゃっとやっちゃいな」
俺はカウンターに鈴原を残し、窓のブラインドを閉め始めた。
五時を過ぎ、勉強していた生徒達も皆帰ってしまった。
気づいたらいつも通り、ふたりぼっちだ。
「それにしても、俺もなんかお前だと教えやすかったよ。案外、物分り良い方なんじゃないか?」
「あたりまえやん…あんたと違って素直で可愛い鈴原ちゃんなんやから…」
ブラインドを一つ閉め終え、隣のブラインドにも手をかける。
「その物分りの良さで、何で今まで数学できなかったんだ?
あ、わかった、お前授業中寝てばっかいるんだろ。ハハハハ…あ?」
鈴原の反応がない。
いつもなら「なんやてー」と、物でも投げつけてきそうなタイミングなんだけど。
おそるおそるカウンターを覗き込んでみる。
「うーあ、本当に寝てやがるよ、こいつ」
鈴原は案の定、カウンターに突っ伏して気持ちよさそうに眠っていた。
「…ちぇっ、仕方ないか」
俺は鈴原が起きるまで、閉館時間を延ばしてやることにした。
幸い、下校時刻までまだ二時間ほどある。
ちょっと帰るのが遅くなるぐらい、我慢してやろう。
よだれで汚れた鈴原の問題集を見て、
俺は思わず微笑んでしまった。
2004.3 執筆
2007.12.17 改稿
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