『素晴らしい一日』
放課後、午後3時半。 俺は定刻通り図書館に入り、 カウンター内の椅子に腰を落ち着けた。 「ごくろーさん」 俺より先に隣に座っていた鈴原が、退屈そうな挨拶をする。 「お前、いつも早いよな」 俺が言うと、鈴原は不機嫌そうな顔でそっぽを向いた。 「どーせうちは暇人や」 なんか機嫌悪いな、こいつ。 放課後の当番ははっきり言って暇だ。 クラブだ、バイトだ、何だって、ホームルームが終わると皆あちこちに散っていくものの、 この図書室に寄って行こうっていう物好きな輩はかなり少ない。 本を貸す相手のいない俺たち図書委員は、 することもなくただ「当番」という名の無駄な時間を過ごしに 毎週決まった曜日にこうやって図書室まで足を運ぶ。 ひどいことに、今日は見事に俺たち当番しかいない。 俺が暇つぶしに持参した文庫本を読み始めると、 そっぽを向いていた鈴原がこっちを振り向いた。 「あんた何読んでるん?それ」 「…………」 俺が無視して本を読み進めようとすると、 鈴原は本の表紙を覗き込もうとして身を丸めた。 対抗して表紙が天井を向くように本を掲げると、 鈴原は椅子から立ち上がって上から表紙を覗きこもうとした。 さらに対抗してデスクチェアのローラーを軽やかに回転させて後ろを向いて身を縮めると、 鈴原に後頭部をぶっ叩かれた。 「痛ぇ」 片手で頭を抱え、椅子から降りてうずくまった俺のもう片方の手から本を取り上げられた。 ちょっと悪戯したぐらいでこの仕打ちはないだろ。 「あんたがイケズするから、そんな目に合うねんで」 こんな目に合わせたのはお前だ。 痛くて反論できない俺の頭を一撫でし、 鈴原は満足そうに、取り上げた本の表紙を確認した。 「坊っちゃんか…あんた夏目漱石なんて読むんやね」 「悪いかよ」 俺が椅子に座りなおして向きなおると、鈴原は取り上げた本を上から俺に放った。 「悪いわっ。あんたいっつもいっつも本持参してきて読んでるやないの」 鈴原は俺の方にずいと身を近づけ、俺の額に指を押し付けた。 「ここの本を読みなさい」 俺と鈴原はカウンターから離れ、本棚の本を物色していた。 「あんた、どういうジャンルが好きなん?」 鈴原が本の背表紙のタイトルを一つ一つ目で確認しながら、横にいる俺と口で会話する。 「別に…面白そうな本を適当に手に取って、読んでるから」 俺が何もせずに鈴原の作業の様子を眺めながら返事をすると、 鈴原は俺の方を向いてニタァと笑った。 「うちのスキな本、薦めたろか?」 俺が冷めた顔で「別に」と答えると、 笑っていた鈴原の口の端が急速に垂れ下がり、 眉根はすごい勢いでつり上がった。 この次に出てくるセリフは大方、 「うちの薦めた本が読めん言うんか?あぁ?」 とか、 「男やったら女の子の好意はなんでも素直に受け取っとくもんやろが。違うか?あぁ?」 とか、そういうハイパー理不尽な絡みを含んだ言葉に違いない。 「分かった、頼む」 俺があきらめて言うと、鈴原のエグい形相は元の笑顔に戻り、 鈴原は機嫌よく本棚から一冊の本を手に取って俺に手渡した。 「本の貸し出しをお願いします」 カウンターに座った鈴原に、俺は反対側から本を差し出した。 鈴原は嬉しそうに俺の貸出カードを取り出し、 本の貸し出し手続きを終わらせた。 「はい、あんたが私の当番のお客様第一号や。感謝しぃや」 鈴原はにっこり笑って、俺に本を差し出した。 俺は「何でだよ」と言い返して、笑顔で本を受け取った。 「素晴らしい一日」というタイトルが書かれたその本の表紙には、 鈴原とよく似た笑顔で笑う、女性の横顔が描かれていた。 2004.3 執筆
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