『なまえとかぎ』
3月終わり。 今日は滝井を俺のアパートに呼んでみた。 なぜか俺と滝井はこじんまりしたアパートの一室でお互いに正座して対面していた。 「なんで正座して対面してんの私ら?」 「知らん」 俺は滝井の質問に即答して足を崩した。 滝井も足を崩…。 「こら、スカートで大股開くのはやめなさい」 「はーい」 …お互い足を崩したところで本題に移る。 「俺とお前は一昨日から付き合い始めたわけだが…」 「う…うん」 改めて口に出すと恥ずかしい。 「これから付き合い始めるに辺り、色々相談しておかないといけないだろ…特に連絡手段とか」 こいつはケータイを所持していない上に実家生なのだ。 男の俺としては一番連絡に難儀する対象なのである。 「はい」 滝井が挙手する。 「はい、滝井」 俺が指名する。 ボコッ。 滝井が俺の顎に拳を入れる。 「…なんでだ!」 俺が顎を擦りながら抗議すると滝井は少し寂しそうに訴えた。 「彼女的に、いつまでも苗字で呼ばれるのってどうなの、って感じなんだけど…」 あ、そう…。 気持ちは嬉しいのだけど、その都度暴力に訴えられるとこっちは身が持たないんだが。 「ええと…あゆみ」 「うわ、下の名前で呼ばれたの初めてだからなんかハズいね」 「俺もだ」 お互い、照れ笑い。 なんだか胸がこそばゆい感じがする。 「それじゃあ、あゆみ。俺の呼び名も考えてくれよ」 俺が名前を呼ぶ度にあゆみは頬を染めて視線を浮かせる。 これはなかなかに可愛い反応過ぎて嬉しいぞ。 「んー…それじゃ…うん」 滝井…改め、あゆみは意を決して俺をこう呼んだ。 「へたれ」 あっはっは。可愛さ余って憎さ百倍。 「誰がへたれだ、馬鹿野郎」 俺がデコピンを入れると、あゆみはデコをさすりながら抗議した。 「だって、まともに名前で呼ぶのすげーハズいんだよ!?」 「こっちだって一緒だっつーの!へたれはないだろ、へたれは」 こいつは照れ隠しをする度に俺に心臓をえぐるような言葉を投げかけるつもりらしい。 「まさひろだ、呼んでみろ」 俺はあゆみの両肩を揺さぶって訴えた。 あゆみは顔を真っ赤にして視線を泳がせながら続ける。 この反応だけ見てる分には可愛いんだけど、ほんと。 「ま…ま…」 あゆみは踏み切れずに「ま」から先が言えず、興奮して目をぐるぐる回していた。 「ま…ま…ま…!まぁ…!くん!」 「くん!」を言いながらあゆみは俺の顔に右手の人差し指を向けた。 人差し指は勢い余って俺の右の鼻の穴にぶっ刺さる。 「まぁくん!でどうかな?年上相手に呼び捨てってのもなんか抵抗あるし。  可愛く呼ぶのもカップルっぽくて良くない!?」 「まぁくんはまんざらじゃないが、  俺は鼻の穴に指を突っ込まれて快感を感じる性癖はないので大人しく抜いてくれると助かる」 あゆみは俺の鼻から指を抜いて、ウェットティッシュで丁寧に人差し指を拭いている。 俺は鼻血が出るんじゃないかと思いながらズキズキ痛む鼻をつまんだり離したりしていた。 「で、名前の件はとりあえず良しとして」 「うん」 俺はあゆみについとケータイを差し出して続けた。 「お前は俺のケータイに電話を入れれば良いとして」 ここで一息、間を入れる。 「俺がお前に連絡を取る時、非常に困るんだけど」 俺が言うと、あゆみはけろっとした顔で、 「家電にかければ良いじゃん?」 と答えた。 だめだ、わざわざ間を入れて強調した意味が伝わってない。 「今日呼び出す為に、俺は昨日お前に電話したよな?」 あゆみはこくんと頷く。 「とても低い声の男性に取り次いでもらったんだが、あの男性はお前の父親か?」 あゆみはふるふると首を振る。 「おじいちゃん」 お祖父さんだったのか…あまりにも声の気迫が凄かったのでとてもご老体とは思えなかった。 「お前に取り次いでもらうやり取りをした時、対応が丁寧な割りに何だか怒ってるような感じしたんだけど…」 あゆみは「あー…」と言って、 「そういや彼氏だって言ったらすんごい機嫌悪くなったかも」 と答えた。けろりと。 「お前それ、まずくないかな?」 「あー…まぁくんヤラれちゃうかもね」 さっき照れながら命名したあだ名を、こいつはこのタイミングでサラリと使ってのけた。 何だか物騒な単語と並べて。 「つまり、やっぱ家電にかけるのはマズいって事で…」 俺は右手ひらひらと振りながら降参の意を表した。 当人は意味がわかってないらしく首を捻っている。 「何か他に連絡手段ないの?ってか今時ケータイ持ってないってのも相当珍しいと思うんだが…」 「あいやー、あはははは…」 あゆみは頬を掻いて苦笑いしながら続けた。 「4台壊しちゃったからもう買い与えてくんなくなったんだよね」 爆弾発言。 「どんな握力してるんだお前…」 俺が呆れながらジト目で見ると、あゆみは「違うよー」と両手を振って否定した。 「なんか機械と相性悪いんだよ私」 「相性悪いって…変なとこいじって潰したりするのか?」 「いやー、なんでか私もわかんないんだけどね。触っただけで潰れるの」 「は?」 俺は一瞬言葉の意味がわからなくてポカーンとしてしまった。 何のごまかしのつもりかあゆみはヘラヘラ笑いながら俺の胸板をペタペタ叩いている。 「家電も実はファックス壊しちゃったからダイヤル式の黒電話でさー…あ、でもリモコンは大丈夫なんだよ?」 あゆみはハニかみながらうちのMDコンポのリモコンをペタペタと触った。 ダイヤル式の黒電話なんて今時どこで入手できるのか些か疑問なんだが。 「まぁー、そんなわけだから。パソコンとかもムリなんだ。ごめんね」 はぁ…と溜息をつく俺。体質上の問題なら仕方ない。 「お前の家の人に交際を認めてもらった方が早いかな」 「日本刀で切られる覚悟があるならそれも良いと思うよ」 「俺はそこまで丈夫じゃないので謹んで遠慮させてもらう」 俺が手をブンブン振って抵抗していると、 あゆみは「なははー」と笑いながら立ち上がり、俺の左隣にちょんと座った。 「別に連絡なんて取れなくても良いじゃん」 俺の左腕に右腕をこすりつけて甘えながらこう言う。 「合鍵ちょーだい」 …まいったな。 俺はズボンの右ポケットに隠し持っていたアパートの合鍵を大人しくあゆみに差し出した。 あゆみは「えへへー」と満足そうに笑いながら、嬉しそうにカギを受け取る。 「毎日来ちゃうかもよ」 「家捜しとかしないでくれよ…」 「エロ本ないかチェックしちゃうかも」 「勘弁してくれ…」 あゆみはキーホルダーに取り付けたカギをぶらぶら揺らして遊んでいる。 楽しそうにカギを眺めるこいつの横顔を見ながら、 俺は思わず複雑な溜息を漏らしてしまった。 2007.12.21〜2008.2.2 執筆
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